ミシンの歴史~有名メーカー・シンガーによるミシンの広がり~

世界的なミシンの有名メーカーとしていくつかの会社が挙げられます。それらの中でもアメリカには、シンガーという非常に有名な会社があります。ミシンについて少し詳しいという人は、この名前を知っている人も多いのではないでしょうか。この会社は、アメリカにおけるミシンの商業的な発展に非常に大きな役割を持っているのです。ですが、このシンガーミシンが今存在しているのは、本当に奇跡的な出来事が重なったためなのです。そこで今回は、これらの有名メーカーについて触れながら、ミシンの歴史をたどっていきたいと思います。



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ミシンの開発の歴史

ミシンの発展においては、ヨーロッパとアメリカの2箇所で大きな動きがありました。まずはこれらについて簡単に紹介していきます。

ヨーロッパでの発達

一番最古のミシンの発明だと考えられているのは、1790年にイギリスのトーマス・セント氏が開発したチェーンステッチミシンであると考えられています。ですが、このミシンは特許の登録のミスにより、日の目を見ることなく、長年が経過してしまいます。またその後も、何人かの人がヨーロッパの各国でミシンを開発していくのですが、当時の戦国時代のような激しい変動の起きていたヨーロッパでは、そういった生活を豊かにするような技術の発達に着目する余裕が無く、ミシンが開発されるものの、そこから発展したり、世界に広がっていくということはありませんでした。ヨーロッパでミシンが日の目を見るのは、前述したトーマス・セント氏のミシンの特許を1843年にニュートン・ウイルソン氏がこのミシンを復元してからになります。ですが、この当時にはすでにアメリカでのミシンが非常に発達しており、ヨーロッパのミシンが最先端を行くことはありませんでした。

アメリカでの発達

アメリカでのミシンの開発は、ヨーロッパと比較すると遅めの1819年から確認されています。ですが、本格的に実用化され始めたのは1843年にエリアス・ハウ氏が特許を得たミシンまで飛んでしまいます。このエリアス・ハウ氏の開発した特許を多くのメーカーが彼がアメリカ国内にいないときに、無断で使用して製造したことにより、大きく広がっていきます。その後、各メーカーなどとの間では特許裁判が行われ、和解も成立したりしていますが、彼の特許が認められたこと、そして彼が国内にいない間に、多くのメーカーが無断使用してミシンを製造したことで、ミシンという発明は広く人々の元へ届くようになったのです。



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シンガーミシンの歴史

シンガーミシンの歴史をたどっていくと、実は一番の立役者は創業者のシンガー氏ではなく、別の人であると言えるかもしれません。そんなシンガーミシンの歴史にかかわった人物について紹介していきます。特にシンガーミシンが好きという方は、これから紹介する人たちに感謝することをおすすめします。

シャーバン・C・プロジェット氏によるミシン

シャーバン・C・プロジェット氏は1849年に協力者であるジョン・A・レロー氏と共に全回転式ミシンを開発することに成功しました。ですが実際に実用化してみると、装置の一部に欠点が見つかり、糸がねじれてしまうという不具合が生じてしまい、実用段階で不評となってしまいました。この特許をオーソン・フエルプス氏が買取ましたが、その改善はなかなかうまく進みませんでした。そこでオーソン・フエルプス氏はアイザック・シンガーという人物に改良を依頼します。このアイザック・シンガーという人物こそが、世界的にも有名なシンガーミシンの創業者なのです。そのため、シンガーは自分一人でミシンを開発したというわけではなく、シャーバン・C・プロジェット氏がミシンの開発を行い、かつ不具合が発生し、その特許をオーソン・フエルプス氏が買い取り、さらにそこからアイザック・シンガーに改良を依頼したためにミシンの開発と出会うことができたのかもしれません。そのように考えてみると、何か一つでもずれていたら、今のシンガーミシンという大企業は存在しなかったかもしれません。

アイザック・シンガーとミシン

アイザック・シンガーは、ニューヨーク州ビッツタウン出身です。その後、親友であったジョージ・ジーヴァーと共に木版自動彫刻機の開発を行っていました。当時のシンガーは発明者であっても、まだミシンなどには興味を持っていません。ですが、その開発した機械を売り込むために、1850年にボストンにあるオーソン・フエルプス氏の工場を訪ねたことで、彼とミシンの運命が始まるのです。ここでオーソン・フエルプス氏は、彼が特許を所有しているミシンに欠点があり、それを改良して世の中に出すことができれば、必ず大きな市場を獲得できる、ということを訪ねてきた二人に相談します。自分たちの開発した木版自動彫刻機が不評で落胆していたシンガーとジーヴァーの二人は、その相談に奮起してミシンの改良を始めます。ここから2か月間改良に没頭し、ついにシンガーによるミシンが完成しました。このミシンは現在、大英博物館に所蔵されているので、イギリスまで行けば見ることもできます。そして翌1851年、シンガーは独自の特許を取得し、シンガーブランドとして積極的に商業活動を始め行きます。その後、前述したエリアス・ハウ氏の特許による特許裁判などもありましたが、無事和解し、シンガーが賠償金を支払うことで製造販売権を取得し、そこから世界で初めて割賦販売方式を発案し、シンガーミシンは高価ながらも広まっていったのです。

まとめ

シンガーミシンは現在でもファンの多い非常に有名なミシンです。ですが、このシンガーがミシンの開発と出会ったのは、多くの人が偶然動いたためでもあります。そのどれか一つでも起きなければ、今のシンガーミシンは存在しなかったかもしれません。科学技術の発展には、そんな奇跡のような出来事も関わってくるのですね。