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ミシンが辿ってきた道って知ってる?日本にミシンが来た話2つと、アメリカでミシンが実用化された話1つ

   

皆さんは、ミシンを使っていますか。

出したりしまったりが面倒くさいのよねー。

なんていう声もありますが、今回は、そのミシンの歴史に触れてみたいと思います。

魅力的な破天荒な人物の登場と、偶然の物語であるその歴史を知ると、ミシンを使いたくなってくるかもしれません。

押し入れに眠っているミシンに、久しぶりに触れてみたくなるかもしれませんよ。



こちらの記事でもおすすめミシン製品を紹介していますので参考にして下さい。




ミシンは、何故ミシンと言うのでしょう

ミシンは、何故ミシンと言うのでしょうか。

改めて口に出してみると、なんだか不思議な言葉のような気がします。

ミシンは英語ではソーイングマシンSewing macineとなります。

ソーイングマシンのマシンの部分を外国人が発音すると、「ミシン」に聞こえるため、それを聞いた日本人が、ミシンと呼び始めたというのが定説になっています。

ちなみに、ソーイングとは、「縫う」という意味。

つまり、ソーイングマシンとは、縫う機械という意味なのですね。

このようにミシンという呼ばれ方をしていることからも、ミシンが日本で使われるようになったのは、外国から持ち込まれたのだということがわかりますね。

それでは、ここで、日本に持ち込まれたミシンの歴史についてお伝えしていきたいと思います。




ミシンが日本へ来た

日本に初めてミシンが持ち込まれたことについての経緯は諸説あります。

その中でも最も有力な説は、なんと、あの黒船を率いたアメリカのペリー提督が関わっているのです。

その説によると、ペリーが1854年に、横浜に来航した時に、徳川十三代将軍家定に献上したというのです。

その頃アメリカでも、ようやくミシンが商品化されたという時期だったそうです。

徳川十三代将軍家定の妻といえば、天彰院敬子(てんしょういんすみこ)、そうです、あの大河ドラマで有名になった篤姫です。

日本で最初にミシンを使ったのは、篤姫だったのかもしれませんね。

その後のミシンと日本との関わりは、1860年に江戸幕府が日米修好通商条約批准のために送った、勝海舟率いる遣米使節の通訳ジョン万次郎が土産として「写真機」と「ミシン」を持ち帰った時だと言われています。

このようにして、我が国日本にも、ミシンが登場したのですね。

それでは、日本へミシンを送ったと言われるアメリカでは、どのようなミシンの歴史があるのでしょうか。

アメリカにおけるミシンの登場について見てみたいと思います。




アメリカでのミシンの歴史

ところで、皆さんは、シンガーというミシンメーカーを聞いたことがあると思います。

よく聞くけれど、このシンガーというミシンがどのように登場してきたのか、知っている人は多くはないのではないでしょうか。

アメリカでのミシンの歴史といえば、このシンガーミシンを抜きには語ることはできません。

そのシンガーミシンの歴史に触れてみたいと思います。




シンガーミシン

シンガーミシンは、1851年に発明家アイザック・メリット・シンガーと法律家エドワード・C・クラークによって、創業されました。

創業当初は、I.M.Singer &Co.という社名でしたが、1865年に はSinger Manufacuturing Companyに改称され、更に1963年になると、The Singer Companyと改称されました。

アイザック・メリット・シンガー

シンガーミシンの創業者の一人であるアイザック・メリット・シンガーは、アメリカ合衆国生まれで、ドイツ系ユダヤ人でした。

発明家であったシンガーは、1839年に岩盤掘削機械を発明し、最初の特許をとりました。

そして、その機械を2000ドルで売ることに成功しました。

この2000ドルという金額はシンガーにとっては大金でした。

この2000ドルで、経済的に余裕ができたシンガーは、もともと持っていた俳優としての夢を追うようになったのです。

シンガーは、俳優として、一座を結成して、公演をする旅に出ました。

その後もシンガーは、アイザック・メリットという名前で舞台に立っていたそうです。

この旅公演は5年間続きました。

発明家と俳優という、異色の経歴は、このような流れの中で実現したのですね。

シンガーの女性遍歴

一方で、シンガーの結婚の話にも触れてみたいと思います。

シンガーの最初の結婚は、1830年、キャサリン・マリア・ヘイリーという相手との結婚でした。

1年後、妻と共にニューヨークに引っ越します。

1833年になると再度引越し、ニューヨーク州オトセゴ郡に住むことになります。

キャサリンとの間には、ウィリアムとリリアンという2人の子どもが生まれました。

最初の子どもが生まれた後、再びニューヨークに移り、プレス工場に勤めます。

1836年、取引先まで出張中の旅先であるボルチモアでメアリー・アン・スポンスラーと出会います。

そして、なんと妻帯者でありながら、シンガーは、メアリーにプロポーズするのです。

結婚は叶いませんでしたが、シンガーは翌年、このプロポーズの相手であるメアリー・アンを連れて、ニューヨークに戻ります。

そして、この年、妻のキャサリンには、2人目の子が生まれているのです。

ところが、妻のキャサリンはリリアンを残して出て行きました。

驚くことに、その間にシンガーは、メアリー・アンとの間にも男の子をもうけているのです。

これで、キャサリンとの結婚生活は終わりを告げました。

ところが、シンガーの女性遍歴はこれで終わらず、最終的には5人の女性との間に、自分の子どもを合計24人もうけたのです。

シンガーの遺産を巡っての争い

晩年にはヨーロッパに移り住み、莫大な財産を残したシンガーですが、シンガーの死後、その財産を巡っての争いが繰り広げられたそうです。

これだけ複雑な人間関係ですものね。

発明家、経営者、俳優と多忙な日々を送りながら、その間にこれだけの女性との関わりを持つなんて、何てエネルギッシュな人なのでしょう。

ただただ驚くばかりです。

アメリカ初の実用的ミシンの完成

発明の話に戻りたいと思います。

岩盤掘削機械で成功した後、シンガーは、「木や金属を彫刻する機械」を開発し、1849年に特許を取得します。

これを販売しようとした矢先、工場のボイラーが爆発するのです。

その頃、機械のことを知ったボストンの機械工場の経営者オーソン・C・フェルブスが、ボストンにある自分の工場でその機械を作ってはどうかとシンガーを誘います。

シンガーはボストンに行き、フェルプスの機械工場でその機械を作ったものの、なかなか売れませんでした。

この時、レローとプロジェットという二人も、フェルプスの機械工場でミシンを作っていました。

そして、フェルプスはシンガーにミシンを見てもらうのです。

このミシンは使い勝手が悪いと思ったシンガーは、回転していたボビンケースを直線的に動くようにし、曲がっていた針を真っ直ぐな針に改良しました。

シンガーは、その改良したミシンで1851年に特許を取得します。

シンガーの作ったミシンの試作品は、初の実用的なミシンとなりました。

アメリカで初めての実用性のあるミシンができるまでに、このような偶然の物語があるのですね。

何か、運命的なものさえ感じます。

こうして、アメリカがおすすめするミシンが実用化されたのですね。




まとめ

さて、ミシンの登場の歴史について、触れてみました。

それまでは、手縫いするしかなかったものも、このミシンで縫うことにより、ぐっと楽に縫えるようになったことでしょう。

今や、複雑な刺繍をすることもお手の物のミシンですが、この世に登場するまでに、こんな風に偶然の物語があったということが面白いですね。

そんなことを考えながら、ミシンを使ってみるのも良いかもしれません。