ミシンの歴史をたどってみよう~アメリカ・特許取得編~

現在様々な場面で利用されているミシン。みなさんも自分が使用していなくても、その恩恵は必ず受けているはずです。衣服の製造分野でも、この発明により、自動化や大量発注も可能となり、大きな発展のきっかけとなっています。ではこのミシン、どこでどのように発明され、どのようにして発展してきたかご存知ですか。今回はそんなミシンのアメリカでの特許の部分に特に注目しながら、ミシンの歴史を紐解いていきます。



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ミシンのアメリカでの発達

ミシンの歴史を紐解いていく中で、ヨーロッパがミシンの発明を担っていたのに対して、アメリカはミシンというものが一般に広がっていくように製品化していった商業面での大きな役割を担っています。そのためここからは、発明から製品化の部分までをメインに進めていきます。

ジョン・ノールズによるミシン

アメリカでの最初のミシンの発明と考えられているのは、ジョン・ノールズ氏によるものです。彼はアメリカのバーモント州にある門苦トンという町で機械工を営んでいました。その中で彼がのちのバックステッチを形作ることになるハンドソーイングという手法と似たような原理を用いたミシンを発明したとされています。ですが特許なども取得しておらず、当時の雑誌に掲載されていたという事実しかなく、具体的な内容が不明となっています。そのため、後世においても実用化されることはありませんでした。

ウォルター・ハントによるミシン

ウォルター半年は1832年ごろに2本糸によるロックステッチを発明しました。ですが彼はミシンの研究を専門にしていたのではなく、さまざまな発明を行う理論派の発明家でした。そのため、自身の開発したミシンにそれ以上のこだわりや興味を持たず、他の人に特許出願権を譲渡してしまいました。その特許出願権をもらった人もどうやら特許として登録はしなかったようです。ですが彼はその天才的な才能で、ミシン以外にも多くの発明を残したとされています。もしミシンという発明にもっと魅力を感じてもらえたら、ミシンの発展はさらに早まっていたのかもしれません。

ジョン・ジエー・グリーノフによるミシン

アメリカのミシンの歴史においては、このジョン・ジエー・グリーノフ氏が最初の特許をもらった人となります。彼は1842年に、皮革などの硬い素材用にミシンを設計し、現在の針と糸を同時に通していく方式ではなく、硬い素材に針を専攻させて穴をあけていく突き切りを併用する方式のミシンを開発しました。ですがこのミシンもその後、実用化されることはありませんでした。今回は深くまで述べませんが、のちの世界では、ヨーロッパで開発されたミシンは長年広まることはなく、アメリカで急激に発展を遂げていくことになります。ですが、それぞれの地域での一番最初のミシンの特許ということに関しては、アメリカがこの1842年だったのに対し、ヨーロッパでは1790年に出願されているのです。時代背景が違えば、ミシンの歴史も大きく変わっていたのかもしれません。

ベンジャミン・W・ビーンによるミシン

次いでアメリカで2つ目の特許を申請したのは、ベンジャミン・W・ビーン氏です。彼は1843年にミシンの特許を得ました。彼の発明については、布送りの部分に独特な方式があったとされています。その方式はのちに部分的に取り入れられていったようですが、実用化されるには至りませんでした。

エリス・ハウによるミシン

ここから特許の順番が少し飛びます。続いてはミシンの特許を5番目に取得したエリス・ハウ氏です。彼が実家を出てボストンで機械工として働き始めると、工場へ来た客から、「ミシンという新しい機械を何人もの人が研究開発したけれど、いまだに一つも成功していない。これが完成されて場、大変なビジネスができる。」ということを耳にします。そこから彼は工場を休み、2年という歳月をかけてミシンの特許を取得することになります。彼の発明は、現在の本縫いミシンの源流となったものであると言えます。ボビンケースとボビンを考案し、さらに針と糸に関しては従来の設計理念を取り入れており、非常に完成度の高い作品でした。ですが事業家はうまくいかず、イギリスへ渡り、別の人へイギリスでの特許権を譲渡します。その後アメリカに戻ってみると、彼の特許を無断で使用したミシンが製造されるようになっており、多くの相手と特許訴訟を行うことになります。その中には、現在でも有名なシンガーも含まれていました。のちにシンガーと彼との間では和解が成立しますが、それが成立していなければ、現在ほどシンガーのミシンが有名になることはなかったかもしれません。ちなみに、その和解額は現在の15